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今年は『脱!低体温』します。


by 4-leaf__clover

祖母と私

むそう塾へいく朝。
早朝に出て、桜澤先生のお墓参りしてから行こうと考えていたのですが
ふと
祖母のお墓参りに行きたい
と思い、素直に行くことにしました。









朝行くのは初めて。空気が澄んでいます。
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大谷祖廟
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温かな日差しが祖母に包まれているようでした。
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私は生まれた時から母方の祖母と、両親と妹と5人で生活をしてきました。
いわゆるおばあちゃん子で
子供のころから、なぜか実母よりも深い絆を感じて育ってきました。
(おかあさんゴメン!笑)
おばあちゃんと言われるのを嫌って、おばあちゃまと呼んでいました。

躾に厳しい祖母は、友達が家に電話をかけてきた時に
「〇〇ちゃん居ますか?」というと友達にまで
「〇〇ちゃん居はりますか?」と言いなさい。とか
玄関では靴を揃えて脱ぎなさい。
肘をついて食べていはいけません。
敷居は踏んではいけません。
などなど。

今では当たり前の事だったなぁと感じるのですが
そういった躾は母からではなく、祖母から教わりました。

裏千家の煎茶の師範を持っていたので
子供のころは、近所の人を教えたりしているのを見てきました。
祖母は私にも習ってほしいと思っていたようでしたが
外で友達と遊ぶ方が楽しかった私は、結局習わずじまい。

それ以外にも、日本画や水墨画をしたり
ダンスをしたり、シャンソンを歌ったり・・・
洋服のセンスもとってもお洒落で
私とは正反対のキラキラした祖母が大好きでした。

祖母が亡くなったのは7年半前。
肺ガン、悪性リンパ腫、小腸のガンでした。
日赤で手術をしましたが、すでにステージⅣのガンだった為
放射線治療と抗がん剤治療しか方法がありませんでした。
しばらく入院していましたが、病院嫌いの祖母は、
好きな家で過ごすことを選択し、
ちょうど、仕事を辞めてアルバイトをしていた私は
家で祖母の看護をすることを選択しました。

看護といっても素人な上、気が利かない私からの看護は
祖母にとっても苦痛だったろうと思います。

手術で小腸が人工肛門になっていたので
お手洗いのフォローや、入浴の補助。
ご飯の支度やお掃除。
買い物や病院の付き添いなど・・・

祖母の為にと思っていたはずなのに、日が経つにつれ
常に束縛された生活が嫌で、祖母に辛く当ってしまったり
祖母が話しかける言葉を聞こえないフリをしてしまったり・・・
ひどいことをしていました。

そんな私の気持ちを知ってか
3ヶ月後、祖母は眠るように息を引き取りました。

あの頃は自分を責め続けていた私も
結婚して実家を離れて、日常に追われて
祖母の事を思い出さない事の方が多くなってきました。

昨日、大谷祖廟で祖母と向き合って
自分自身の足元を見つめ直そうと思いました。

私は祖母に恥じない生き方をしなければ。
絶対に。


お読みくださった方へ。
長々とした文章にも関わらず、ありがとうございます。

感謝いたします。
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by 4-leaf__clover | 2010-10-24 21:11 | つぶやき